詩とダンスと
ダンスが好きだ。といっても、まさか私が、クラブと呼ばれるような場所に行って踊り狂うわけではないし、まさか私が、何年か前にブレイクした邦画、タイトルはたしか「Shall weダンス?」だったと思うが、その主人公の中年サラリーマンよろしく、社交ダンスにはまって、ついでに人生の機微も大いに味わうにいたるというものでもない。
私がいうダンスとは、もちろん身体芸術としてのそれであって、つまり踊るより観る方、なかでも、ピナ・バウシュとかウイリアム・フォーサイスとか勅使川原三郎とか、いわゆるコンテンポラリー・ダンスと呼ばれるものには足繁く通う。もとはといえば学生時代、まだまだインパクトを有していた暗黒舞踏を観に、おそるおそる、いまはなき新宿アートシアターかどこかへ出かけていったのがはじまりだ。
それから、私事ながら、妻がフラメンコの舞踊家をやっている関係で、そちらの方もときどき鑑賞を強いられる。アントニオ・ガデスとか、最近ではホアキン・コルテスとかだ。趣はぐっと変わって、ヒップホップ系の若者たちの動きにだって無関心ではいられない。逆にたとえばクラシックバレーの方にはあまり縁がなく、よほどのことがないかぎり足を運ばないが、一昨年だったか、パリでみたハンブルク・バレエ団の「白鳥の湖」は最高だった。王子ジークフリートと白鳥オデットの物語は狂王ルードヴィヒとその影(分身)のそれに置き換えられ、ラスト、影が狂王を舞台奥の闇に回収してしまうその男ふたりのグラン・パ・ド・ドゥが、ホモセクシャルの詩情をさえ漂わせて、すこぶる感動的なのだった。
いま思わず詩情という言葉を使ってしまったけれど、私がダンスをよく観るのは、私が詩を書いていることと関係があるのかもしれない。もってまわった言い方はよそう。かつてマラルメは、バレーする身体を象形文字の戯れとみなして、独特の空間的テクストを夢見た(その影響ははるかフォーサイスのダンス空間にまで及んでいるように思える)。また、マラルメの弟子のポール・ヴァレリーが、その「詩と抽象的思考」という論文のなかで、散文を歩行に、詩を舞踊にたとえたのは、さらにいちだんと有名な話だろう。詩はダンスと相同である。詩はことばのダンスであり、ダンスは身体の詩である。ことばも身体も、ふつうのひとはある目的のための手段として、しかもそのことを意識する必要もないまま使っている。手は愛撫するためにあるのだし、発話は説得や恫喝や愛のささやきのためにあるのであって、そのときことばも身体も、いうなれば透明だ。ところが、ことばや身体が手段であることから離れてみずからを意識し出すとき、いいかえれば、透明な媒体から不透明な物質へと姿を変えるとき、詩やダンスが始まる。
ダンスを見てすてきなのは、それが一元的な意味には回収されないということだ。物質のすごさである。身体がひととき恐ろしく美しく、あるいは痙攣的に動いたという印象が刻印され、そのまわりに、多様な意味の層が、うっすらと靄のようにまつわりつく。詩も同様だろう。まずリズムやイメージの訪れがあり、遅れてようやく意味がやってくる。似た者同士、馬が合うようにして、これからも私はダンスの公演に足繁く通いつづけることだろう。
これはとくにコンテンポラリー・ダンスを観て思うことなのだが、身体という実体だけではなくて、身体の影、あるいは身体と身体のあいだというものも、なかなかに意味深い。壁や床に身体の影がゆれている。これは詩のことばの大地的な非意味性ということを考えさせるし、あるいは、身体たちによってさまざまに空隙が描き出され、そのあいだをまたさまざまな身体たちがくぐってゆく。身体を空隙に通す身体とか、空隙の身体をくぐる空隙とか、空隙と空隙のあいだの身体とか、身体と空隙のあいだの空隙とか、空隙をくぐる身体の空隙とか、身体をくぐる空隙の身体とか、ああもうこんがらがってしまいそう。要するに空隙とは、テニヲハのようなもの、詩のことばのシナプス接合みたいなものではないだろうか。
が、それだけではない。しばしば私は、ダンスをみながら、ダンスにインスパイアされて、詩を書く。自作詩について語るのは気がひけるけれど、たとえば、次なる詩集『スペクタクル』に収録予定の「人の巣」という詩は、「巣/ぎゅっと」となにやら奇怪に始まるのだが、むべなるかな、ジョゼフ・ナジという、フランス現代ダンスのなかでもひときわ特異な振付家による作品をみてのものだし、「灰をあしらった平たい床のうえにひとはもう/まばらに横たわっていた」と始まる、やはり『スペクタクル』中の「生という小さな毬」という詩は、同じくフランス現代ダンスを代表するひとり、レジーヌ・ショピノのシンプルな作品に想を得ている。ダンスをみながら、ダンスにインスパイアされて。さらには、それが高じて、ダンスとのコラボレーションの実際までやってしまっている。私の拙い自作詩朗読の声が、山田せつ子、笠井瑞丈といった日本のコンテンポラリー・ダンスの重鎮若手の身体とクロスしつつ響くことができたのは、考えてみれば贅沢、シアワセ、というほかない。
さらにさらに。なんと私は、詩を書きながら実際に踊り出してしまうことさえあるのだ。踊るより観る方という冒頭の言は翻されることになる。そう、まさか私が、深夜、「呪文はウネウネせよ、ウネウネ」とか、「街の、衣の、いちまい、下の、虹は、蛇だ」とか、「ららら、ひとの腑、浮くよ、ららら、ひとの穂、飛ぶよ」とか、言葉のダンスを紙の上に繰り出し、あるいは口の端にのぼらせるうち、知らず自身の身体もぎごちなく動きだし、「疱瘡譚」の土方巽よろしく聖なる自失のポーズをとるかと思えば、「薔薇の精」のニジンスキーになったつもりで伸び上がりくねる。ひとにみられたらまちがいなく破滅、いやちがった、恥ずかしいだろうし、目撃するほうにとってもあまり気持ちのいいものではあるまい。用心するとしよう。
(初出──「季刊文科」第21号、2002年4月)