| ひそかに美術を 野村喜和夫 六十の手習い、という言葉があったように思う。私は五十代の後半にさしかかったところだが、ごく最近、ひそかに美術を習うべく、某カルチャーセンターの「はじめてのコラージュ・オブジェ」という講座に通い始めた。講師は現代美術家の北川健次氏(以下師と呼ぶ)。受講生は、平日の昼ということもあって、私のほかは女性ばかりだ。 子供の頃は絵を描くのが好きで、ところがあるとき、つくづく自分に才能がないことを思い知らされ、以来、詩ひと筋にやってきて、たとえ趣味にせよ他ジャンルとりわけ美術の方面に手を出すことはかたく封印してきたのだった。それがどういう風の吹き回しだろう、いや吹き回しも何も、もう才能云々に悩む歳ではないし、純然たる習い事のひとつとして、ふたたび美術が視野に入ってきたのである。 講座の最初の課題は、標本箱を使った作品制作だ。箱の底に写真のコピーをコーティングして貼り付け、そこにさまざまなオブジェを取り合わせる。私の場合は、とある写真集から、ウィーン少年合唱団員とおぼしき少年の正面大写しのものを拝借した。歌唱のため少年の口は大きく開かれている。師のアドバイスもあって、少年には気の毒だが、その聖なる口腔に何か小さなオブジェを置こうということになった。オブジェであるからには、異質なもの同士の衝突がはかられ、あるいは謎が醸し出されていなければならない。俳句ですよ俳句、と師は言う。 その日を境に、大げさにいえば、私の余暇の過ごし方は一変した。最寄りの町下北沢にはアンティークショップや雑貨屋が立ち並んでいる。以前なら通り過ぎるだけだったそうした店に入り、邪気のない女の子たちにまじって、あの少年の口腔に置くべきオブジェを物色している私とは、いったい何者であるか。何か酷く猥褻な気分でもある。それ以上に、事物との生き生きとした交流を、久々に取り戻したような気がした。骰子、鉱石、アンモナイト、豆電球、脳髄の小さな模型。さまざまなものが私の手に取られてゆくが、考えてみれば、口腔とは何でも呑み込みうるトポスであるわけで、そこに意外性に満ちた出会いを仕掛けるのは、それこそ意外にむずかしい。 また、仮にこれだと思うようなオブジェが見つかっても、今度はたとえばサイズが合わなかったり、技術的に接着がむずかしかったりと、たちまち私は障害に囲まれてしまう。これが現実というものなのであろう。詩においては、原理的にはどんな言葉の組合せも可能で、私はそういう世界に長いあいだ身を置いてきた。ところが美術では、たえず物質の干渉を受け、それとたたかわなければならない。そんなあたりまえのことでも、身に染みるように経験されると、私の生と思考の深部までもが何かしら変容してゆくように思われて、これは小さくはない悦びであった。 さてしかし、少年の口腔に何を置こうか、私はまだ決めかねている。 (初出は「共同通信」配信) |