ジェノヴァ国際詩祭報告



イタリアに行って来ました。
ジェノヴァ国際詩祭という催しに招聘されたためです。

今年で10回目を数えるこの詩祭は、イタリアでもっとも規模の大きい詩のイベントで、これまでにも、ノーベル賞詩人のチェスラウ・ミロシュ、デレック・ウォルコット、ウォル・ソインカをはじめ、世界5大陸から多様な言語と多様なスタイルの詩人たちが招かれています。オルガナイザーはジェノヴァ在住の詩人クラウディオ・ポッツァーニさん。

そして今年はとくに、ジェノヴァがEUの文化首都に選ばれていることから、EU日本事務局を通して日本の詩人たちにもオファーが舞い込んだというわけです。日本からは私と国際基督教大学の岩切正一郎さんが参加しました。岩切さんはフランス文学が専門ですが、知る人ぞ知る詩人でもあります。ほかにアーサー・ビナードさんも呼ばれていましたが、どうしても都合がつかなかったようです。

さて、「世界の詩的再構築」という壮大なテーマを掲げた今年の詩祭は、6月17日から30日までの2週間にわたって行われました。この「詩的再構築」というコンセプトの底流には、大げさに言えば、世界のアメリカ的一元化に抗う多様なるものの復権という主張があるのかもしれません。つまり、詩もまたその翻訳不可能性によって多様でしかないわけですが、そこにこそ詩のもつ力、いうなれば零度の政治性を望もうという、そういうことなのかもしれません。

メーン会場となったのは、市の中心ドゥカーレ宮殿の中庭に仮設されたステージ。客席数は200といったところでしょうか、そこに連日、一地方都市にもかかわらず、加えてしかも小難しい詩のイベントだというのに、それなりの数の客が集まってくるのですから、ちょっと日本では考えられないような光景です。前出ウォル・ソインカが出演した日には立ち見の出る盛況となり、新聞でも大々的に取り上げられました。

これほどの規模のイベントを、ポッツァーニさんほかたった数人のスタッフで運営しているというのも、ある意味で驚きでした。もちろんそれには、インフラや資金面その他での、メーンスポンサーのERGやジェノヴァ市をはじめとする強力なサポート態勢があってのことでしょう。それにひきかえ、世界に冠たるわが「詩歌の国」のお寒い事情ときたら・・・いや、泣き言はやめましょう。

メーン会場に近いレストラン「ナポレオン」(れっきとしたイタメシなのになぜかそんな名前がついています)が参加詩人たちの社交場となっていて、そこでジェノヴァ名物のバジリコのペーストであえたパスタなどを食べながら、世界各地からやってきたいろんな詩人たちと交流しました。晩年のエズラ・パウンドの風貌にも似たアイスランドの老詩人、オリエントの妖艶な魅力をふりまくシリアの女性詩人、フランドル派の絵画から抜け出してきたようなベルギー人のグループ、などなど。

私たちの出番は6月27日日曜日の夜でした。メーン会場です。フランス語イタリア語間の通訳をしてくれる女性と打合せをしたあと、本番に臨みました。まず岩切さんがスピーチと朗読をして、つぎに私。三篇ほど朗読しました。どんな進行だったかというと、すでにフランス語訳のある「(私たち、芥をちりばめて狂い)」と「デジャヴュ街道」を通訳の女性が今回のためさらにイタリア語に翻訳してくれたので、まずその二篇を一篇ずつ私が日本語で読み、そのあと通訳の女性がイタリア語訳で繰り返します。彼女は芝居でもやっていたことがあるのか、なかなか表現力のある朗読でした。最後に、未訳の「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」のテクストのコピーをおみやげのように聴衆に配って、「虹」と「蛇」の漢字について説明したあと、「未知の言語の音のひびきとリズムをお楽しみ下さい」と前口上して朗読しました。意味はわからずとも、聴衆の反応は上々だったようです。

出番の日の翌朝、私たちは慌ただしくジェノヴァを発ち、帰国の途につきました。名残惜しい気持ちはありましたが、この11月にも、今年のもう一つのEU文化首都に指定されているリール(北フランス)で詩祭があり、そこでも私は朗読することになっています。そのときポッツァーニさんほかに再会できるかもしれません。




メーン会場となったドゥカーレ宮殿の前で フェスティバル出演者と