インディアン・サマー

野村喜和夫



フェスティバル
とだけ読める、倦む旗のへりが
風にめくれている

地はうすい市松の模様をひらき
犬の舌の上のように
なまあたたかなそのあまりにも

何の祭りだろう
ひとだかりの方へ
分身の秋の物語はひとりさまよい、とか

網膜だってめくれることがある
影になった文字はそのとき
どんな水と戯れて撚れて

もやは濃く
デジャヴュの泡立ちのあわいを
道はうねるばかりだ、とか

ともに在ること
の空無が
風紋のように脱ぎ捨てられて在るだろう

おお曙橋
その地名の輝きが
耳殻の不安に触れてびくつき

読む脳をたたれて
なおも視野へとあふれてくる
何のあふれ

フィードバッグする汗よ
血と乳の細い流れに
クヌギの朽ち葉がまぎれこむ

ひだのなかのいのち?
唖の日だまりへ--単語探索
浮く流通する脂、とか

賑わいはしだいにうすれ
ようやく空と
軽い交感を果たすとしても

骨灰を撒いたような
空を梱包する--芸はなく
眼のながい迷妄

鳩の影よぎり舞う私は
稀であり束の間の
鳩の影よぎり舞う私は、とか

フェスティバル
とだけ読める、発赤するうたの去就の
夕まぐれまで

                --『現代詩文庫・野村喜和夫詩集』より