しずおか連詩の会2006
「馬の銅像」の巻


 
アーサー・ビナード
大岡信
岡井隆
木坂涼
野村喜和夫




「今のうちならまだ何にでもなれる」と
布をすっぽりかぶせられた馬の銅像はほくそ笑む
ふさふさの尻尾を変え、ごつい頭部を
ボストンバッグに化けさせ、蹄鉄は受話器に・・・
さあ、除幕の瞬間
                               アーサー


霧の北京から持ち帰ったのは
天安門広場で凧をあげる夢
いましもとんびが窓すれすれにその凧のように
                                喜和夫


胡同の夜店で人形を買つたことがあつた
以来魔女と仙女のちがひに悩んだ
仙女と棲んでるんだか
魔女とブロッケン山を登つてるんだか
いいさ どつちだつて幸せなら、さ
                                  隆


黒猫が夜道をよぎる
ふと 振りかえると白肌の
干し大根 月明かりを集めて
                                  涼


ダイコンのことをデーコと言っていた
なつかしい旧い友だちよ
今は亡命詩人として
パリの陋屋ぐらし
ねずみは出るか 君の台所にも
                                  信


引っ越しのたびに母は 曾祖母の
形見の皿をタオルにくるんで膝にのせていた
新しい家でずっと 嬰児を抱く面持ち
                               アーサー


血まみれになって生まれてくる私たち
だからといって血まみれになって死んでもいい
というものでもないでしょう
この世の果ての海のおもてで
昼寝する蝶もいますからきっときっと
                                喜和夫


教授はしづかに笑つた
この世とあの世のあひだの海境といふ坂を
小舟に乗り小さ子の神が渡つて来たりしてね
                                  隆


階段式の講堂に本日の演題の垂れ幕
演壇には水差し、百合の花
皆の注目のなか講師の登場
この緊張の最中に ああ
センセイの背中がかゆい!
                                  涼

10
「かゆいところに手が届くように」
というたとえがぴったりの編集者
うちの娘のお仲人さん
                                  信

11
エディターの甘言に乗せられ
『豆腐料理ABC』といふ本を書く
廊下を歩く足音が気になるので
ラムプをそっと吹き消して
霊感の訪れるのを待つ一日
                                  隆

12
やけどするよ
ときみはいうが
知ってるよあらゆる皮膚は炎である
                                喜和夫

13
先祖代々の墓 真新しい墓
久しく誰もこない墓 花と
酒の絶えたことのない墓
石は今夜の雨にみな
ひとしく肌を冷やされている
                               アーサー

14
ぽかぽかと塊りをなす
春の暖気に湯気をたてて
目をひらく今年の蛙 竹やぶの中
                                  信

15
モーツァルトの指が紡ぎだした練習曲を
生まれて三年目の男の子の手が弾く
おそるおそる でもぴょんと
飛び出るように 春の部屋から
夏の方へ
                                  涼

16
風車が勤勉に回つてゐる海辺
岬は淡い雲のなかへ飛び出してゐる
「ドン・ジョバンニ」って漁色家の話だったな
                                  隆

17
およそ役立たずの
私やきみがこの世にいる以上
はじめに愛ありき
理性や道徳が生まれたのはそのあとのことだ
ああ胎内でみたぬめぬめした月がなつかしい
                                喜和夫

18
いつ誰からもらったのだったか
しぼんだ柚子ふたつ 今夜は
仲むつまじく 湯船のすみにぽこぽこ
                               アーサー

19
スペインの港ポルト・リガト
そこににた伊豆の浜辺で牡蠣の殻を拾った
足指はその牡蠣殻に切り裂かれた
九十年前 ダリという青年が
ガラという名の美女と逢引きしていたポルト・リガトの牡蠣殻
                                  信

20
画家の髭はさびしい
頬骨をくるりと囲む形に固められて
髭の憧れは津軽海峡にたゆたうワカメ
                                  涼

21
空のキャンバスを裂くように
飛行機雲いやあれは
音もなくすすむ
注射針
が私の網膜に入ってゆく恐怖
                                喜和夫

22
いや、怖れるまでもない
男から女へと流れる川は必ず
おだやかな沼を求めて迷ふもの
                                  隆

23
自分が生まれ育った家を
三十年ぶりに訪ねようとして道に迷った
なにもかも記憶より小さくなってしまって
やっとつかんだ手掛かりは裏庭の松の木 そいつは
こっちの記憶に合わせて成長してくれていた
                               アーサー

24
宇宙飛行士が宇宙へ飛び出て戻る
感覚は新しく目覚め記憶される
紙一枚に 重みのあること
                                  涼

25
一滴の水があと一瞬で
滴り落ちる寸前を
こらえこらえている映像--
あれは私のことだった そのカメラマンの
別れた妻が嬉しげに言った
                                  信

26
アイオワのその朝はざらめのような雪がふっていた
もっと寒い国に帰るという若い女性詩人に
私ははじめて抱擁(ハグ)という当地の習慣を試みた
                                喜和夫

27
あかあかとどの部屋にも灯がともり
いつのまにか霜月の夜が来ていた
オリーヴオイルにしつとりと抱かれた野菜のやうに
わたしたちは疲れ切つて
農園の向かうの闇を見つめた
                                  隆

28
宝を掘り当てるんだと スコップを握って
鶴嘴を振り下ろすが 何も出てこない
穴の湿った土の匂いが せめてものぼくの宝物
                               アーサー

29
髪は肩のうえで外巻きにして
とびきりサイケなハイヒールはいて
白いスカーフ 赤いフェラーリ
おむすび片手にカッ飛ばすの
これはあたしの宝の時間
                                  涼

30
愛読書? 漫画しかないのよ
あたしの好みは国際派 ジャパンは虫が好かない
オサムシなんて虫に噛まれたまんまじゃないの
                                  信

31
生家の納屋にのこれるぼろぼろの捕虫網あり
塵埃のなかより出づる箴虫の輝きてまた
ひたすらにもぐりて逃ぐる そを追いつめぬ
読むほどに細部いよいよ浮かびくる文のごとしも
あの少年がこの老翁に? まさかそは手の込んだ嘘
                                  隆

32
ある朝ぼくは
ザムザという男に変身して
仲間たちの複眼という複眼をつぶして歩いた
                                喜和夫

33
ぺしゃんこにつぶされた空き缶が
わが家の前の道路の真ん中に
通る車はみんなカチャカチャといわせて
夜中 とうとうその耳障りに耐えかねて拾いに出た
「くつろぎのひととき午後の紅茶」だった
                               アーサー

34
午後の公園の水飲み場で 小鳥が行水をしている
偶然そこに居合わせた私は そのひとときに
思わず 会釈したくなる
                                  涼

35
聖地ベナレスで沐浴している象
汚れた川も陽に当たって赫耀と輝やく
信心深い蛇も怖がりの猿も
この水を浴びにくる
絹織物も金銀細工も生物の養ないの糧
                                  信

36
退屈なあまり死にそう、っていふ人に
いつそ花の香を嗅がせてみようか
瞑想のときこそ去ぬれ蘭の花、ってね
                                  隆

37
夕刊をひらくと
「雨音はまず落葉より起こりけり」
という俳句がみえその隣に
一葉が売文をきらい雑貨屋をひらいた話
かくて飽くことがない言葉の連なりのゆかしさよ
                                喜和夫

38
深夜の長距離バスで 臨席の
老人が手帳をひらいたら舞い落ちた
銀杏の黄色い葉 膝掛けの青に
                               アーサー

39
リスは頬袋をぱんぱんに膨らませ
木々の間を縫って走る
空では風が大きな雲を横へ
うすくうすく伸ばしていく
秋の陽は 刻一刻と熟して
                                  涼

40
馴鹿の枝ある大きな角は
冬へ向かって林をひろげる
群れになれば 疾走する森だ
                                  信